ミルウォーキー手術研修記
2003年9月、米国ウイスコンシン州ミルウォーキー、Reproductive Specialty Centerへ手術見学に行きました。Dr. Charles H. Kohは腹腔鏡下での卵管吻合、子宮内膜症手術、子宮全摘術の術式の開発などで世界的に有名な婦人科医です。
なぜ海外研修か?ー院内では米国のDr.のオペは意外と下手だから見ても意味ないんじゃない?という声がありました。しかしながら、Dr. Charles H. Kohは腹腔鏡下手術の術者としては世界的に有名で、開発した機器も多数あります。是非一度見学させていただきたいと思いDr. Kohのホームページでアドレスを調べてメールを出して手術見学をお願いしました。
ところが全く返事がありません。まったく面識がないので無視されてしまったのでしょうか?(どうも秘書がメールを見ているので、メールが伝わってないようです。)しかたなく、Dr.Kohと面識のある先生に(個人用)メールアドレスを教えてもらって、子宮内膜症手術や子宮筋腫核出術、子宮全摘術を見学させてほしいとメールを出しました。
Dear Dr. Matsumoto
You will be welcome to visit my center. I will have my coordinator look to see which dates are good and let you know. C.Koh
(マツモト先生、どうぞ私のセンターにお越しください。つきましては秘書が日程について検討してお知らせします。)
ついに返事がもらえました!!
この後、何度か秘書とメールのやりとりをして、ついに渡米することになったのでありました。
★一日目
いよいよ渡米、成田からユナイテッド機でシカゴ経由ミルウォーキーへ。一泊したあと、まったく疲れも取れずひどい時差ぼけのまま、病院へ出かけていったのでした。
ミシガン湖畔にある病院前の塔
何の塔なのかはよくわからなかったが
Dr.Kohのオフィスから見ると美しかった。
Dr. Kohのオフィスがあるクリニックビル
5階にReproductive specialty centerがあります。
こちらはSt. Mary's Hospital
上記クリニックビルの隣にある。
手術室、リカバリールームなどがある。
大きな扉をあけるとDr. Kohのオフィスです。Dr.の部屋で待つように言われ入ってみると、腹腔鏡用の鉗子が山のようにあります。開発中のものと思われるものもありました。しばらく、待っているとオペ室に案内されました。
目の前にガウンを着た男の人が立っていたので、"I’m Dr. Matsumoto from Japan. I came here to observe Dr. Koh’s surgery."と言ったところ、あっそう、みたいな素っ気ない態度で無視されてしまいました。
あまり歓迎されてないのかなあと寂しい気分でしばらく待っているとDr. Kohが来られました。(おーっ、本物じゃぁ!)あいさつすると、Dr. Kohはニコニコして“泊まってるホテルは問題ないか?”などと気をつかってくれました。
さて、この日は腹腔鏡検査と全腹腔鏡下子宮全摘術(TLH)2例でした。意外でしたが、第一穿刺で私と同じトロッカーを使っておられるのです。エチコンエンドサージェリーのブレードレストロッカーです。他の部位は日本では売ってない構造のシンプルなトロッカーでした。(安くて使いやすいらしい)
トロッカーを入れるときは、患者さんの左からアプローチ、手術操作では患者さんの右に回って手術操作をします。
スコープをトロッカーに挿入して
第一穿刺をしているところ
患者の左側がDr.Koh、右が研修医
写真右奥が麻酔医、左手前が医学生
患者の右側に回って手術操作を開始
写真中央がDr.Koh、写真右は直接介助の看護師
TLHは、2例ともなんと2年目の研修医と医学生(5年生)を助手に淡々と90分くらいでオペを終わらせてしまいました。研修医はよくトレーニングされており、だいたい50例くらいはすでに腹腔鏡の助手をしているくらいに見えました。(研修医なのに)
膣管の縫合
右側からの鉗子2本がDr.Kohの操作するもの
左側から研修医がアシスト
一例目のオペのあと、"日本から手術見学にきたDr. Matsumotoだよ"と紹介されると、麻酔医、看護師が賞賛するような目で私を見つめて握手を求めてくれました。手術見学のために一人で太平洋を越えてやってきた日本人を賞賛してくれたのだと思います。さすがフロンティア精神の国ですね。
さっきの素っ気ない男の人は医学生だったのでした。
たぶん、俺なんかに挨拶するなよと思ったのでしょうね。
見学していて驚いたのは、Dr. Kohのオペは、私がしてきたオペとよく似ていたことです。
(使う機械は多少違うが、Dr. Kohの論文を読んで、まねしていたから当然か・・・)
そのほか、Dr.Kohの術式では子宮後壁の筋膜を少し残すため、膣が狭くなり子宮の回収がやりにくいのですがと尋ねたところ、そういうときは電動モルセレーターを使いなさいと言われました。
(モルセレーターは使い捨て部分が一つ5万円)うー、経費が・・・(笑)
オペのあと、カフェテリアでDr. Kohと食事をしていると黒人の看護師がやってきて、機関銃のような早口で
”Are you from Japan? ...Friend, ... Yokosuka...Okinawa... Navy...”としゃべりかけてきました。
驚いて唖然としていると、Dr. Kohが”お前なあ、友達が横須賀や沖縄の海軍基地にいても彼には関係ないだろう、ハッ、ハッ、ハッ。(ということを英語で)”と言い、彼は微笑みながら”Have a nice day in Milwaukee!”と言って私と固い握手をして去っていったのでした。アメリカ人はみんな陽気ですね。
3つの手術を見学しオフィスの人にタクシーを呼んでもらって帰ったのですが、このあと恐怖の体験(それほどでもないか)をしてしまうのでした・・・
★恐怖のタクシー
1日目の手術は3例、朝8時半から始まったので終わっても午後3時過ぎでした。
全部終わったあとはオフィスで子宮内膜症の手術を見せていただきました。
子宮内膜症の切除ではKTPレーザーを使っていました。細かな操作にはかなりいいようです。腸管表面の内膜症切除ではハサミ鉗子を使用して切除、出血したところでは驚いたことに電気メス(バイポーラ)で凝固しています。
凝固壊死による遅発性の穿孔が気になり、これって大丈夫なんですか?と聞いたところ、”It’s OK. Because oversew.”(上から縫うから大丈夫)ということでした。(ほんまかいな?)もちろん、出血部位以外は凝固しないように気を使う必要はありますが、大丈夫なんですね。
その後、タクシーを呼んでもらって帰ることにし、しばらく待っているとやってきました。ヒスパニック系で何故か助手席にも似たような人が乗ってます。乗り込むと、まるでスペイン語のような英語で話しかけられました。
Dr. Matsumoto…、twenty minutes…、hotel…
あのー・・・はっきり言って全然わかりません。おそろしいほどの訛りです。
それだけならいいのですが、何度も後ろを振り向いて話しかけてきます。
(あー、前向いて運転してくれないかなあ・・・)
と思っていたら交差点から車が飛び出してきました。キーッ!
運転手が急ブレーキを踏み、ようやく停まりました。危なかったです。病院送りになるかと思いました。
その後、ホテルに着き、逃げるように部屋へ戻ったのでした。
これに懲りて、翌日から帰りはタクシーは使わず、ミシガン湖のほとりを歩いて帰ることにしたのでした。
Stadley Street
ミルウォーキーで一番にぎやかでおしゃれな通り
目の前の建物はスターバックス
(帰りに何度も立ち寄った。)
★3日目
2日目はオペがなく市内を散策して過ごしました。しかしながら時差ボケに関しては全く解消されませんでした。今だったら、メラトニン飲んでるんですけど・・・
3日目は2件予定でした。まず、タクシーを呼んでもらい、”St. Mary's Hospital, please.” (Reproductive specialty centerはSt. Mary's Hospitalの隣にある。)、今回は黒人でまともな(?)ネイティブだったので安心して乗れました。
しかしながら、気がついたらちょっと違う方向に行っています。ウィスコンシン州立大学のほうに来てしまいました。
“I suppose you're going to a different place. I mean St. Mary's hospital around Northlake drive.”と言ったところ、運転手さんは、あら、しまった、という顔をして”There are two St. Mary's hospital in Milwaukee.”と言いました。ミルウォーキーにはSt. Mary’s hospitalは2つあるなんて思いませんでした。
アメリカでは、行き先をいうときに、住所や番地を言った方がいい場合が多いようですよ。
さて、この日の最初の手術は卵管結紮後の卵管吻合術です。アメリカでは避妊の方法として卵管結紮がよく行われます。腹腔鏡で行うことが多いようです。ところが、離婚、再婚も多いですよね。子供を1〜2人産んで卵管結紮をし、離婚をしてしまったあとで、再婚、もう一度結紮してしまった卵管を開通させてほしいという患者さんが結構いるようです。
日本では、もともと卵管結紮をあまり行わないし、まだ欧米よりは離婚が少ないので卵管吻合に対するニーズはかなり少ないようです。日本では報告例はごくわずかです。
Dr. Kohは、この手術は日本でする機会はないかもしれないけれど、このテクニックは君が尿管吻合をするときに役に立つだろうとおっしゃいました。うーん、できれば、その手術は合併症ではなく子宮内膜症の切除として行うことを祈ります。
さて、手術がはじまると、卵管はかなり子宮に近いところで電気焼灼され部分切除されていました。これを非常に細い針状の電気メス(モノポーラ)で凝固された組織を切除、ギロチンみたいな切開専用の鉗子で卵管筋層と粘膜を一部切除し、非常に細い糸で縫合して終了です。
腹腔鏡下卵管吻合術
8-0の糸で縫合中
術野がすごく揺れる。
(まるで難破船)
縫合になると、非常に小さい針(6-7mmくらい?)と非常に細い糸(8-0)を使うので拡大して見るためにギリギリまで近づきます。そうすると麻酔の人工換気による動きに影響されて波に揺られながら手術をしているような状態になります。Dr. Kohは淡々と手術しているのですが、助手は緊張が続かなくなるのか、20-30分ごとに交代。見ている私もめまいがしそうになりました。手術は140分、両側の卵管吻合が終わりました。
手術が終わったあとコーヒーを一緒に飲みながら、Dr. Kohに"To tell the truth, I felt dizzy while you were suturing."(実は先生が縫合している間めまいがしました。)といったところ、コーヒーを吹き出しそうになりながら笑ってました。
病院のリカバリールーム
詰所を囲むように部屋がたくさんある。
何とベッドがない。腹腔鏡のあとは日帰りの人も多いようだ
(ちょっとキツすぎない?)
2例目はチョコレート嚢胞の再発という診断での手術でした。97年に腹腔鏡下による子宮内膜症切除(膀胱表面、骨盤腹膜、直腸全層切除)の既往があります。腹腔鏡の所見では子宮後壁に小さな筋腫が2個、卵巣は正常で腫瘤は卵管でした。癒着を剥離したあと、卵管を切開すると凝血塊がでてきて、おそらく陳旧性の卵管流産(子宮外妊娠)だろうということで卵管切除を施行することになりました。
ここで術者を交代、助手をしていたDouglasという若いDr.(といっても35歳くらいか?)が卵管切除を施行、バイポーラで卵管間膜を凝固してKTPレーザーで切開、これをくり返して卵管を切除しました。Dr. KohはDouglasにできるだけ卵管に接して腫瘤を切除するように指示していました。卵巣の近くをバイポーラで凝固してしまうと卵巣の血流が障害されてしまうためです。また、骨盤漏斗靭帯の近くも凝固しないようにと指示していました。
KTPレーザーを使っているところ
繊細な切開、凝固ができる。
部屋のライトを消しているところで緑色に光る。
(まるでスターウォーズの世界か?)
筋腫核出もDouglasがしていたのですが、有茎性漿膜下筋腫は茎を凝固して切除、Dr. Kohは子宮側に近寄って凝固してしまうと子宮破裂(妊娠時)のリスクがあるぞと注意していました。その後、もう一つの筋層内筋腫を核出(2層で縫合)していました。Dr. Kohは”ちゃんと縫わないと(術後の妊娠で)子宮破裂して患者に訴えられSentinelに載るぞ”と冗談を言っていました。SentinelというのはMilwaukee Journal Sentinelという地方新聞のことです。
また、Dr. Kohは、寿司職人は10年修行を積んで一人前になるんだ、術者も同じだよと言っていました。(まるで日本的な・・・)これは築地で寿司を食べたときに聞いたんだよ、そうだろう?と私に同意を求めてきました。
そうですが、最近では回転寿司もありますからと言ったものの、どうも意味が理解してもらえなかったようです。(・・・回転寿司をどういうのかわからなかった。どうも、sushi-go-round restaurantとかbelt-conveyor
sushiとかいうそうですね。少なくともMilwaukeeにはないようです。知らなかったのかも?)Douglasはオペが終わったとき、”どう?これでカルフォルニアロールくらいなら作れるレベルになったかな?”と言っていました。
この日は若手にオペをさせていたことので教育について聞いてみました。Dr. Kohは、まず結紮のテクニックを教える、剥離はすぐにはさせない、と言っておられました。そういえば、Douglasは結紮縫合は結構上手かったです。
オペが終わった後、オフィスでまた直腸全層切除のビデオを何例か見せていただきました。直腸の縫合はしっかり締めたほうがいいのでしょうかと尋ねたところ、Dr. Kohは”きつくもなく、ゆるくもなくだよ”ということでした。当たり前ですね。また、直腸の解剖はなじみがないので難しいと言ったところ、Dr. Kohに、”Serosa, outer muscle, inner muscle, mucosa. So simple.”と言われました。(いやいや、それは知ってます)
(2年ほど前には、Dr. Kohにこのようなことを質問していたのですが、すでに直腸半層切除も20 例以上した今となっては、こんな質問をしていたのが懐かしい気もします。)
★4日目
4日目はDr. Grace Janikのオペです。女性医師なのですが、Dr. Kohに言わせれば、婦人科腹腔鏡では全米一のgirl surgeonだそうです。”girl”という表現を使うのがピンときませんでした。普通、”female surgeon”というんじゃないかなあと思いましたが、そういえば、更衣室も婦長さんのような人が、こっちはBoy用、こっちはGirl用よ、と言っていたので、そういう表現もポピュラーなのでしょう。
Douglasに連れられてオペ室へ、今日の患者さんは慢性骨盤痛(右下腹部痛)のため腹腔鏡下手術ですが、類皮嚢腫の他、胆石などで5回の腹腔鏡下手術の既往があると・・・(目が点)。思わず、”Oh! What a pitty!”とつぶやくと、なぜかDouglasとハモってしまい、おたがいに微笑んでしまいました。
Dr. Janikは左に立ち手術操作をしていました。子宮全摘、筋腫核出では縫合のために右に立つそうです。しかし、今回は虫垂を切除するつもりだったので右にアプローチするのなら左側のほうがやりやすいということでした。骨盤内には小さな子宮内膜症病巣があり、膀胱と子宮が癒着していました。また、虫垂がやや腫大していました。S状結腸を剥離して左尿管を確認、骨盤壁の内膜症病巣を切除したあと、Douglasに交代、膀胱周囲の癒着剥離〜内膜症の切除、再びDr.Janikに交代し虫垂切除を施行。バイポーラで虫垂動脈を凝固したあと、虫垂をエンドカッターで切除していました。
その後、子宮内膜症ビデオを供覧。
子宮内膜症手術ではかならずといっていいほど、まずS状結腸の生理的癒着を剥離して骨盤入口部で左側の尿管を確認しています。Dr. Kohの話では癒着の可能性を指摘するものもいるそうですが腹腔鏡下で行うのなら癒着は生じないとのことでした。
Douglasがさせてもらえる手術操作を見ていると、彼らの教育に対する考え方がよくわかります。まず、結紮縫合ができること、次に切開剥離操作は膀胱子宮窩や卵管などのリスクの低いところ、尿管や直腸の周囲などリスクの高いところは最後になるようです。もちろん、直腸、尿管の修復は最終段階でしょう。
★5日目
この日もDr. Janikの手術で子宮筋腫核出術でした。直径8cmくらいの有茎性の筋腫です。左側からのアプローチでした。ピトレッシンを局注、茎を切開して筋腫を核出、2層で縫合。核出部位からわずかな出血がありレーザーで止血していたのですが、一部糸が断裂してしまいました。その糸を切除して縫い直し非常に細かく縫合していたので大変驚きました。その後の筋腫の回収はDouglasがしていました。
術後に子宮内膜症ビデオを供覧
凍結骨盤で卵巣チョコレート嚢胞の症例です。子宮頚部後壁と直腸の癒着を剥離、KTPレーザーで直腸側に子宮内膜症を付けたまま完全に剥離、その後直腸表面より子宮内膜症組織を摘出(縦走筋と輪状筋との境界で切除)していました。
その後、ホテルに戻りました。この日の夜はDr. Kohと食事に出かけたのでした。
Dr. Kohにホテルに迎えに来てもらい中華レストランへ。車内からビデオを撮っていたら、じゃ、しばらくドライブに行こうということでミルウォーキー市内を走ることになりました。
雨のミルウォーキー市街のドライブ
Dr. Kohの愛車はトヨタのレクサスでした。
乗り心地は最高!
★チャイニーズ・レストラン
さて、ミルウォーキー市内を回って中華レストランへ。時差ぼけは一週間たっても解消されておらず、食欲がイマイチだったのでビュッフェスタイルの食事をすることにしました。杏仁豆腐がありましたが、なぜAnnin dofuと記載されていたのが不思議でした。(杏仁豆腐は日本発なんだろうか?そんなことないよなあ・・・)
ミルウォーキーはビールで有名なところです。Millerビールや様々なビールメーカーの工場があります。地ビールをいただくことにしましたが、なんとも言えず美味かったです。
食事をしながら、Dr. Kohに子宮全摘などのビデオを見て頂きました。(自分のオペを見ていただくチャンスですから、ハンディカムとビデオテープを持っていっていた)ハーモニックスカルペル(超音波凝固切開装置)を使って450gのTLH(全腹腔鏡下子宮全摘術)で、「もうすでに私より上手いんじゃないか?」まあ、半分以上は社交辞令でしょうが嬉しかったです。
Dr. KohのウェブサイトにDr. Gieslerのテキサス・スタイル・TLHというのがあり、ハーモニックスカルペルで約1時間で子宮全摘をしてしまうそうです。いったい、どうやってやるのでしょうか?”No dissection, cut, cut, cut”だそうで、(それでも想像つかない)30-40分でオペが終わってしまうそうです。
(全然わからなくなった、いったいどんなオペなんだ〜)
日本では腹腔鏡の技術認定医の制度がスタートし約100名程度が合格、すなわち婦人科医のわずか1%しか腹腔鏡のエキスパートがいません。それについて、Dr. Kohは、それはアメリカでも同じで産婦人科医の中で腹腔鏡下手術をするのはわずか10%、その中でもエキスパートは10%、つまり日本と同様、1%しかエキスパートがいないそうです。決してアメリカの婦人科医全体として腹腔鏡下手術のレベルが高いというわけではないようです。
チャイニーズレストランで
右側がDr.Charles H. Koh
ミルウォーキーの地ビールは最高です!
食事のあとは、本屋に立ち寄り子供たちへのおみやげを買ってホテルに送っていただきました。
★帰国
1週間の渡米でしたが、時差ぼけはまったく解消されず、おまけにアメリカの食事は受け付けずボロボロになっていました。しかし、求めていた手術テクニックを学んだ充実感には満たされていました。なぜか日本が近づいてくると時差のずれが戻ってくるのがわかります。食欲も増し、元気になってきます。
★私が学んだこと
一言でいえば、それまで私にはなかったもの、腹腔鏡下で行うmicrosurgical approach(顕微鏡手術的なアプローチ)です。Dr. Koh, Dr. Janikは、針状の電気メス(モノポーラ)やKTPレーザーでミリ単位以下の繊細な手術操作を行っていました。しかも、相当シビアな子宮内膜症に対しても淡々と癒着剥離していきます。結紮縫合も決して早くはありませんが、細かく確実に進めていきます。このようなテクニックは日本国内の術者には見られないものでした。帰国してから私の手術テクニックも大きく変貌することになりました。
★海外へ手術見学に行くために
腹腔鏡下手術が日本に導入される前(1990年頃)には、アメリカで腹腔鏡下手術の研修をして帰国後日本で腹腔鏡下手術を始めた医師が多くいました。特に外科では胆嚢摘出術が普及し始めたとき渡米した医師は多かったようです。もうすでに日本の腹腔鏡下手術もかなり進歩していますから、海外でなければ見られないとか、勉強できないとかいう手術は少なくなっています。しかし、世界中のさまざまな国に優秀な術者がいますから求めるものがあるのなら是非日本を飛び出して学ぶべきです。国際学会に出席して優秀な術者のプレゼンテーションをみるというのもいいでしょう。日本人はもっと海外に出たほうがいいと思います。
★英語について
実は、私、2003年まで英語を話したことがほとんどありませんでした。その年の1月からアルクという出版社の通信教育(TOEIC650点マラソン、4ヶ月のコース)をはじめ、5月からネイティブに週一回レッスン、9月に渡米でした。
5月に受けたTOEICは735点でしたが、渡米してみると相手の喋ることはあまりわかりません。一対一ならあまり問題はないのですが、だんだん相手のスピードが上がってきます。そうするとだんだんわからなくなってきます。Dr. Kohは日本人慣れしていてゆっくり喋ってくれるので助かりました。しかし、機関銃のようなスピードで話す人もいましたし、ネイティブ同士で会話を始めるとどうしても理解しずらくなります。
いわゆる英語教材のスピードを100とすると、彼らが普通に喋るのが120、興奮してくると150くらいになります。たぶん、理解していなかったところもたくさんあると思いますが、それでもかなり勉強になったわけですから、少々英語が苦手な人でも行けば得ることは多いのではないでしょうか?